異国感
なんだかどこへ行っても見知った感がある。
安心感がある。それってすごく怖い。
私は行ったことのない場所が結構怖い。
例えば友達の家に遊びに行くことになって、見知った大通りから知らない住宅街の細い道へ入っていくこと。
京都だから大抵まっすぐなのだけど、ちょっと曲がると、もう駄目。先導してくれる友達がいまぱっと消えたらちゃんと帰れるだろうかとか考えだす。
町並みとか目印を確認するために挙動不審になる。だって怖い。
帰り道、やっと大きな道に出るとほっとする。涙が出そうになるくらい。長旅を終えて家に帰ってきた気分になる。
最初に挙動不審になるかわり、一二回行って慣れると、もう我が物顔になる。余裕になる。「もうこのへん私完璧ですよ」って思う。
そのうちに「京都の住宅街の細い道」に入ること自体に慣れてくる。
「この先十分くらいいくと堀川にあたる」とか「もうちょい下がると御池通だな」とか分かりだす。そしたら知らない細道へ入ることもそんなに怖くなくなってくる。
そうやって余裕を持てるようになると、いろんなところへ行けるようになる。
方向感覚は良い方なので、大抵迷わず行ける。それで道を覚えて、またそのあたりも安心して通れるようになる。
勝手を知らない町の通ったことのない道→恐怖
慣れた町の通ったことない道→不安
通ったことある道→安心
恐怖<不安<<<<<<<<<安心
もう安心したら我が家感覚。
通ったことある道と我が家で何が違うって個室か個室じゃないかって感じ。
それはさすがに嘘だけど。
じゃあ我が家と外の安心できる場所の違いってなんなんだ。
転勤族で、不安→慣れる→転勤→不安…のループを繰り返しすぎてせいか、
自宅感があんまりない。
仮の宿りという感じです。
いまここに住んでるから安心できるけど、引っ越してもきっといつか安心できるんだろうなってずっと考えてる。
だから、「京都に住んで慣れること」が「まだ知らぬ未知の場所に慣れること」になる。
特にネットとか発達してるし。マップがあれば怖い道なんてないんじゃないかと思う。
じゃあどうやったら自分の家に唯一の自宅感が持てるのか。全然わからない。
私は引っ越すことになれすぎてるから、というわけでもないけれど、これから引っ越してもあんまり怖くならないのだと思う。
きっと京都に来たときより早く慣れるだろうし、すぐ安心できると思う。
実家は一軒家だけど、もう一旦引っ越してしまうと全く自宅感がない。別に自分の部屋だった場所だなってだけ。
今まで使ってた家具とか、本とか、配置とかを兼ね備えたら空間的にそれはもう自宅なんだけど、
それと土地がもっとうまく結び付けられたらいいのにと思う。
それを結びつけるのは私一人ではなくて、他の人との関係なのではと思う。
他の人もどこにいっても新しい人に出会えるけど、新しい人と仲良くできることを自惚れることは一生できないなあ。
できたらその土地に地縛霊みたいに確かな自宅感を持っている人か、
その人といる場所が自宅なのだと思える人と一緒にいたい。
生活感のある人と。
他へ行くことの恐怖をちゃんと持ってる人のそれに共振したい。
それか自宅感なんて、土地との関係なんか捨てて一生遊牧民みたいな気持ちで過ごしたい。
自宅感なく育ってしまったからずっと故郷とか自宅とか探してしまう。
どこでも自宅で、どこでも異界みたいな。
唯一の場所を見つけなきゃって漠然と思う。
google mapの中で迷子になって居たくない…。